●特集22「パティシエールUTAKO」祝!オープン10周年

今年は私たちが主催する「3.14=π(パイ)の日R」キャンペーン(2021年で20回目)参加店で10周年を迎えるお店が4軒もあるので、それぞれの10年目の充実ぶり、そこへ至るまでの曲折をお伝えしていこうと思っています。
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そのトップバッターが「パティシエールUTAKO」さん。2021年3月20日に10周年を迎えました。おめでとうございます。
オープン当初からお付き合いがはじまり、いつの間にか10年という歳月が経ったのですね。こんな素敵なお店と、そしてシェフとスタッフさんたちと月日を重ねることができ、私たちは幸せ者です。ありがとう。
彼女はオープン1周年を待たずにキャンペーンに参加してくれた強者です。女性で一人で作っていて百貨店催事も時には参加するというヴァイタリティ、採用に困ったことがないことや、お客様とのコミュニケーションが密で、お菓子の情報をはじめ、お店の企画が正確・詳細に伝わることなど、「UTAKO」さんならではの特長を順次ご紹介して行きましょう。(※以下書き手クボタ)

◆長い長い助走期間。お菓子作りへの渇望が結晶化した、膨大な時の流れ
シェフ中塚雅子(うたこ/1968年生)さんが修業を開始した頃は、まだパティシエブームが始まる前。いや、世間一般にパティシエ、という呼び方もなかった時だ。
当然、女性にはまだまだ仕事が与えられないような時代だった。誰もが憧れる有名店で女人禁制のようになっていたところもある。今からみれば、考えられないような差別が激しく残っていた。巷には女性がオーナーシェフを勤めるお店はいくらもあったが、いずれもケーキ作りの好きな専業主婦の一念発起組。修業を経て開店していたのは関西ではドイツ菓子の「グリュックスシュヴァイン」くらいではなかろうか。それでも国内修業はかなわず、本場で修業した人だった。
辻製菓のフランス校を卒業し、現地での研修も受けたというのに、男子寮はあっても女子寮はないというように、日本のパティスリーは女性の受け入れ準備がまったくできていなかった。渡仏前にアルバイトで貯めていたお金はフランスでお菓子や料理を体験することにすべて使ってしまっていたので、自力で東京に下宿して修業するだけの資金力もなかった。
ようやく見つけたのが、牛乳メーカーが副業でやっていた製造卸の会社。シェフが「ヨックモック」出身で雅子さんが大好きな「イルプルーシュルラセーヌ」の流れを汲む人だったからだ。いいところが見つかったと喜んだのも束の間、面接では「女子は初めてだが大丈夫か」と訊かれるし、入社してみると差別の壁が大きく立ちふさがっていた。何かの小さな作業を手伝おうとすると、「まだ早い」と言われ、けっきょく最初の1年間は洗い物ばかり。横目で作業を睨みながら、「あれくらいできるのにな」と思う悶々とした日々が続いた。
1年過ぎた頃、たまりかねて出勤前に自宅で焼いたお菓子を持参して、シェフに感想を訊くという直訴を試みるようになった。最初は無下にされていた反応が、少しずつ「こうしたら」などとアドヴァイスが貰えるようになり、先輩たちが一人二人と辞めていって、いつの間にか順位的にもトップになり仕事ができるようになった。
この環境の変化にも素直には喜べず、このままではダメだと、再度の渡仏を決意。仕事の傍らフランス語会話の教室に通いはじめた。新たな目標を胸に研鑽の日々。3年目が終わる頃、バブル景気で放漫経営だった会社にもさすがに厳しいチェックが入り、作るケーキの方向転換を命じられた。シェフがそれを受け入れず退社し、雅子さんも便乗。
フランスへ行くまでの数ヶ月、シェフの兄弟子が京都で店をオープンしたのでそこを手伝ったらということになった。渡仏の計画があることも伝えたが、帰ってきたらまた戻ればいいという好条件を出してもらった。京都の衣笠にあった伝説の店「パティスリー アゼルリドー」だ(私たちがその存在に気が付いて訪れたのは閉店した後のこと。店構えは残っていたのだが)。

◆フランスで1年間、お菓子の季節感、生活感を学ぶ
前回の製菓学校時代と研修の時期はフランス語会話が十分ではなく、表面的な吸収に終わったという思いがあったので、会話力を向上させての再挑戦。技術的なブラッシュアップの目的もあったが、パティスリーの1年のめぐりというものを実地に体験したいという思いが強かった。
「オ パヴェ デュ ロワ」「ジャン フィリップ ゲイ」という小さな店(職人3~7人)で、仕込み、タルト、ムース、プチガトー、オーブン、仕上げのすべての工程に携われる好条件で働けた。新鮮な気持ちでやってみると得るものが多かった。さすがに習得が早く、フランス人見習いに指導する役割を与えられるほど。
メニューの構成と材料の使い回しの仕組みや、なぜそうするのか、といったパティスリー経営上の生理のようなもの、現地人の嗜好、季節の恵みや行事とその時々のお菓子の関わりなど、一つひとつの商品の背景にあるものを学んだことが、お菓子に対する愛情を深めることになった。貴重な一年だった。

◆帰国。有能なパティシエールとして活躍する日々
帰国すると、約束通り「アゼルリドー」に就職。質の高いフランス菓子の店として評判を高めていた。ここで4年を過ごすこととなる。スーシェフという位置付けで作りたいお菓子を作れていたし、自適な生活だった。しかし、4年間変化はなく、オーナー夫婦2人と自分を含めた3人体制が維持され、後輩を指導するという場面もなかった。愉しく暮らすうちに、次第に“このままではいけない”というぼんやりした不安が淀みはじめる。
4年を経た頃、その当時大阪随一の注目&人気店「アキャトル」のシェフ中野博昭さんに相談。彼は雅子さんが辻製菓の生徒時代の実習助手的な先生で、もっとも身近な先生であり相談相手だった。
すると「うちへ来てもいいけど、俺は辞めるよ」との話。中野さんが滋賀・草津市に自店「プティ ポワン」をオープンする時だったのだ。「アキャトル」は元々中野さんと同級生の阪口敦彦さんが二人で開いた店。スーパーシェフが抜ける後を埋める形での入店となる。
すでにフランス菓子の店でスーシェフを勤めてきたとはいえ、荷の重い現場へ飛び込んでしまった。しかも、いま大人気のパン店「ROUTE271」の船井さんの証言では、阪口シェフの代わりにマスコミ対応もしていたというほど、かなりの部分を任されていたようだ。お菓子作りだけでなく、スタッフの指導からお店の管理、売上など多大なプレッシャーがあったのかもしれない。お菓子作りで忙しいのが愉しくてしょうがないという雅子さんが、2年で音を上げてしまった。

◆自適の道、オーナーシェフとしての資質の確立へ
人を沢山使って業界トップを目指すような店のシェフになることは、無理だと悟った。そういう店ではスタッフたちを信頼して任せる部分を作らない限り仕事が回らない。しかし、自分はすべてを自分でチェックしたい質なのだ。一人でやり切るノウハウを構築しなければと思うようになった。
次に勤めたのは、ステーキハウスの喫茶部門。ケーキ作りをすべて任された。メニュー作成から開発、製造まで。短期間でオーナーが代わり、店名も変わったが仕事は引き続き任された。それほどに信頼され、評価されていた。
その頃から仕事の休日に平行して、会員制のお菓子教室を始めた。最初の5人の生徒は友だちの友だちばかり。この頃から雅子人脈が強みを発揮し始める。生徒の一人は勤め先のアルバイトの女子大生。彼女は教室を卒業して家庭科の先生になり、結婚して渡米した後もずっと付き合いがつづいている。彼女にとって雅子さんは、ケーキの味に惚れ込んで以来、心の師でありつづけているのだろう。美味しいお菓子は人の心を動かす力を宿している。
その後、勤め先はパン工場であったり、ネット通販をするロールケーキの会社であったりしたが、給料が減ってもいいからとの条件で休日を増やしてもらい、お菓子教室へ軸足を徐々に移して行った。
ある時、地元のフリーペーパーで自宅で開いている教室やサロンの紹介企画を告知していたので、自ら応募して取材を受けて知名度を上げることも積極的に行った。評判が評判を呼び、次第に生徒数も増えていく。
8年間ほど続けた教室では、何年も受講する生徒もいるのでメニュー作りに苦労した。異なった生地やクリームを紹介したいし、見栄えなどもヴァリエーションを持たせたい。フランス菓子を一通り教えて、ウィーン菓子を作ってみたりもした。そんな中で雅子オリジナルのレシピが完成していき、「パティシエールUTAKO」のラインナップが構築されていったのだった。
何より、生徒が何を好み、どう理解するかをつぶさに観察できたことが大きかった。コンテストに出すような複雑な味わいや突飛なものには限界があっても、酸味や苦みに付いては、はじめからそれが美味しいんだと教えておきさえすれば、ものすごく酸っぱいとか苦いということに逆に興味を持って積極的な気持ちでトライし体験することで大好きになるケースを何回も経験した。味わいの濃度についてはファミリー層を対象としていても自分から限界を設けるべきではないと学んだのだった。

一方、就職先では大量生産の現場でいかに完璧なマニュアルが出来上がっているのかとか、自分に適した作業台の高さは何センチかなどといった実践的な知識をちゃっかり身につける努力も怠りなく。修業時代には無駄なことなどじつは何もないのだ。
「アキャトル」での日々を経て、たった一人ですべてをやり切るスタイルを目指しての計画であり、すべてが開店を目指した一歩一歩の積み重ねだったのである。自分独自の経営ノウハウの蓄積のためにと割り切ってはいたものの、作りたいケーキを作れない悔しさを存分に味わった時期でもある。その悔しさこそがお店を持つ原動力になっている。
いまでこそ人材不足からワンオペレーションが注目されるようになったが、今から20年近く前にすでに、自分の理想とするケーキ店としてのワンオペのノウハウを積み上げていたのだ。なんという先進性!

◆2011年3月20日、いよいよオープン
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専門学校に通い始めてからじつに25年、という長い長い準備期間だった。はじめて当ブログで紹介したように、小学校5年生で得意技を持つ父母らに依頼して、学校の教室内でカルチャースクールを開校し、自らお菓子教室の講師を務めたという天才敏腕プロデューサー兼シェフだった少女としては、慎重の上にも慎重な準備だったと言える。
一つはサラリーマン家庭としては最大限の援助としての製菓学校のフランス校留学までさせてもらっているので、それ以上の資金援助を頼まなかったこと。また8年前に結婚している夫に対しても「将来お店を持ちたい」と告げて了解は得ていたものの、それ以上の負担や心配を掛けたくなかったのだ。両親も夫も彼女の能力の高さを信じ切っており、開店を心配するどころか「やっと決心がついたか」と待ちくたびれたといった風情だったそうだ。
店のロケーションは毎日の通勤で前を通っていたところ。近くに大きなマンションが次々に建っていたし、前はバス通りでよく目に付く。
開業に当たっては、高槻市の地域商業活性化創業、個店支援事業に応募して1期生として選ばれている。百貨店に出店したときの経歴書を見せてもらったのだが、このような際の事務手続きも几帳面にこなす能力を持っている。現在も製造日誌をこまめに付けていて、焼菓子の賞味期限だけでなく、それがいつ焼かれたものかを即答できるという。完璧な責任能力があるからこそ、つねに自信を持って自分の商品をお勧めできるのだ。

◆最強パート軍団の誕生は、初日のアクシデントから
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お店作りが進んで、業者の人たちからは地域にチラシをポストインすべきだと言われていたのだが、製造も販売も一人でやるつもりだったので「いいんです、地味に地味にひっそりとやりたいので」と、お店のガラスの引き戸に小さな開店予定のお知らせをしていただけだった。
ところが、ふたを開けて見ると開店前から記録的な大行列。お祝いに駆けつけていた両親や勤めていたパンの会社から同僚が手伝いにきてくれていたけれど、いずれも販売。作るのは一人きり。慌てて第1号の生徒に電話「大変やわ、助けて」。
以来彼女を中心に、パートスタッフを入れお店を回すことに。新たにスタッフが必要になると彼女がつねに適任の人材を探し出してくる。4年前にスタッフが大病をするなどの事情が重なることがあって、大量に入れ替わった時だけは指導に時間を取られて売上を落としたことがあるが、それを除いては彼女たちが雅子さんファーストの仕事環境を作り出し最大限の能力を出せるように頑張ってくれている。売上もファン層もほぼ右肩上がり。
この最強パート軍団はもちろん彼女たちの積極性、努力の賜物だが、雅子さんの指導力が生み出したものでもある。新人が入ったらすべてのお菓子を食べて覚えてもらう。一つひとつのお菓子の作り方の特長やなぜどのように美味しいのかを深く理解してもらい、お菓子のファンにし、雅子さんのファンにしてしまう。
それが無理な押しつけではなく、自然に理解に導かれるだけのパワーを持ったお菓子だからこそ、彼女たちの積極性が芽生えるのだ。
彼女たちは販売だけでなく、製造補助もこなしてくれる。次の作業を察知して道具を揃えてくれたり、粉をふるってくれたり、洗い物をしてくれたり。シェフが直截的な製造段階の仕事に専念できるようにと計らってくれる。教室で教えた生徒がいるからこそ、仕事の段取りの理解が進みやすい。今もお店で教室を続けているから、将来的にも採用で困ることはないだろう。
お菓子の知識を身に着けてもらう際も楽しさを忘れない。実家で作っている鹿児島特産の柑橘、サワーポメローがあるが「お客さんにどう説明する? 試験に出るよ」などと軽いノリで教えている。

utako_weekend2021.jpgまた、接客の際の言葉の選び方も綿密だ。
『ウィークエンド』を例に教えてくれた。賞味期限が2種類あるとき、「賞味期限が短い方がしっとりしていて食べ頃です。進物にされる場合は先様がいつお食べになるか分かりませんから長めをお勧めします」と言うように教えている。
そうやってお客さんを誘導すると両方買って帰って食べ比べをし、「教えられた通りだった」と報告しにきたお客様までいるそうだ。丁寧にアナウンスすることは、お客様のお菓子に対する積極的な興味を惹き出す力がある。
箱についても『ウィークエンド』専用のロゴの入った化粧箱もあるが、元々サービス箱の1号にサイズを合わせて作っているので、少し幅があまりはするが、「ご自宅用でしたらサービス箱でいかがでしょう。気の張るギフトでしたら箱代をいただきますけど専用箱もございます」とお知らせするようにしている。お客様の気持ちを抽き出し積極的なコミュニケーションが成り立つようにしている。
取材した日も、休日なのでカーテンを下ろしていたのだが、店頭に人がいるのが見えるので「『ウィークエンド』の予約は出来ますか?」というお客様が顔をのぞかせた。「今お訊きしてご指定の日に焼き立てをお渡しすることも出来ますが、予約ですとまた来ていただくことになり二度手間になりますから、今食べ頃のものを持ち帰っていただくことも出来ますが」と選択肢を与えていた。結局、製造日から6日間の賞味期限のものの、残り4日間のものを買って帰った。
短い賞味期限をずっとつづけているが、お客さんもしっかり学習して、絶対に欲しい焼菓子があるときは予約をする習慣が出来て行くという。
スタッフにしてもお客様にしても、これは教育というより“自分を大切にしてもらっている深いコミュニケーションによってお互いを理解する”ということなのだろう。お菓子に対する熱い想いを伝える努力を長年に渡って続けてきた、傑出した人間力の賜物という以外ない。
最強パート軍団の「パティシエールUTAKO」に対する愛着も並々ならぬものがある。10周年のお祝いに届いた花はスタッフ一同のものと元パートだった人からのもの、さらに教室の生徒さん、お客さまや、お菓子のファンだという顧問税理士の先生からのものだった。これほどに愛されるシェフがほかに誰かいるだろうか。

◆今後の製造体制、そして展望
ほとんど完成形でスタートし、順調にファンを拡大して行っている。品揃えはシンプルで分かりやすいけれど、ある意味、遠慮のない味わい。各パーツの理想形ともいうべき味・香り・食感が追究され、個性の強い素材もその強い魅力のすべてを伝えようとしている。
それらの主張が明確なメッセージとともにお客様に提供されているので、無理なく受け入れられ、ファンを作り出していく。ファンは美味しい体験を繰り返すごとにコアなファンに成長する。リピート率が高ければこそ、季節ごとの商品の入れ替わりを楽しんでもらえる。
utako_ichijikushort2021.jpgだから年中の苺ショートではなく、『季節のショートケーキ』が成り立っているのだ。
「ロールケーキは社員として嫌というほど作ったので、もう作りません」というわがままや、『シュークリーム』(シューパリジャン)を作り過ぎると卵白が余り過ぎて廃棄することになるので数量限定というような無駄を出さない姿勢もお客様に理解され支持されている。
たとえば、パートシュクレはバターリッチに脆すぎるくらいに仕込むので、1番生地は型抜きクッキーに、2番でようやくタルト生地に、そして3番は堅い食感が欲しい『フロランタン』にと完全活用している。クッキーはバターの香りと粉の焼き込んだ香りが、食感こそ違うけれど『ガレットブルトンヌ』を彷彿とさせるほど。
その香ばしさを土台とするタルト類はダマンドの上に薄くカスタードを塗って苺などを載せたりするのだが、溌剌としたフルーツの香り、ジューシーな迸り出る甘酸っぱさをしっかり豊満な旨味で受け止めている。だから地元富田丘にはフランス人のようにまずタルトを買うというファンが増えている。
3番の『フロランタン』は、トップに置いたアーモンドのカラメル和えのカリカリした食感に拮抗するカリッサクサクの痛快さ。素材を使い切るだけでなく、それぞれの個性を全開させている。

ほとんど自分の想い通りに進んだ10年のように見えるが、まだまだやり切った感はないという。その一番のやり残しがパイ生地だ(もちろん完全手折り!)。今年の「パイの日キャンペーン」でラピッドが初お目見えした(『金柑のパイ』)が、数が少ない。今後もう少し頻繁に作って行きたいという想いが実現の方向に向いている。
取材したこの日も、スタッフたちに「明日パイ協会さんたちが来るんでしょ、何を出すんですかぁ?」と訊かれ「ふむ、痛いとこを突いてくるな」と笑いながら、当日ラピッドを折り込み、新作『甘夏コンフィチュールの花パイ』(写真下2点)を試作して待っていてくれた。初夏に発売予定。
utako_amanatsupie.jpg仕込んだ生地を一度休ませ、3ツ折り4ツ折り、休憩、3ツ折り4ツ折りした生地はほとんど通常のフィユタージュに遜色のないほどの繊細な仕上がり、プリーツを採るような形の型なので、花のよう。ダマンドを詰めてもう一度軽く焼き、鹿児島県串木野市在住のお父さんの手になる無農薬甘夏、そのコンフィチュール(瓶入りの柑橘コンフィチュール欲しいな)がよく香り、パイ生地のバターの豊満な香りととても相性がいい。響きあうのだ、香りが。サックサクの生地にトロリとからまる、甘酸っぱさ(ほんの少しのホロ苦さもいいね)が極上。いつも通り、シンプルでいながら充実した満足感。素晴しい。
utako_amanatsupiecut.jpgこれが320円だという。
手折りなのに安すぎないかと問うと、「原価も見ているし、自分でその値段で買いたくなるかどうかの方が大切」と大らかな答え。
味の軸にしてもすべて自分自身の価値観を中心にすえて考えている。


昨年からコロナ禍の影響もあり、土日祝の営業時間を夕方6時までに短縮。2時間浮いたことで、ずいぶんと作業的に余裕がでてきたという。最強パート軍団も、販売がレジ袋の問題やキャッシュレス対応など覚えることが増えたので専門化し、販売スタッフと製造補助スタッフを分離。合理化、専門化により自分の作業にさらに余裕の出てくる可能性もあるだろう。
すべての作業を自分で完全管理したいので、パティシエを雇って規模を拡大するということはないが、まだまだ秘蔵のメニューを出していけるように今後年齢を重ねるとともに体制の見直し営業日数、営業時間の見直しはあるかもしれない。唯一心配しているのは、自分が病気をして、今のような旺盛な食欲を失ってしまうこと。すべてのお菓子が中塚雅子自身が食べたいと思う意欲をベースに作られているからだ。

utako_kouglof2021.jpgそう、彼女は自他ともに認める、超のつく食いしん坊。フランス校時代の話でいえば、食事時間に同級生が残した皿まで平らげていたというし、思わず笑ってしまうエピソードもある。それは研究職だった横山牧子先生に何度もお願いしてクグロフを作ってもらったこと。そこまではよくある話かもしれない。が、残ったお菓子は自由に食べていいということではあったが、ひとりでペロリ。ほかの教授たちも楽しみにしていたから、“クグロフ生野”(旧姓)というありがたいあだ名を命名されることになった。さらに卒業文集には「派遣されたお店のケーキを食べないように!」というおまけまで。ほかにも豪快な逸話がきっとあるはずだ。
貪欲なまでの食への関心がついぞ意地汚さに向かうことなく、つねに洗練を目指しつづけたことが、彼女の今日、すべて UTAKO印を作り上げている。だからこそブレないのだろう。
それは、われわれお菓子ファンにとっても有り難い奇蹟と云えるだろう。奇蹟とは、弛まぬ努力の別名なのかもしれない。

●『甘夏コンフィチュールの花パイ』320円 (※内税)
●「パティシエールUTAKO」
大阪府高槻市富田丘13-18  TEL072-601-6175  定休日/火曜・不定休あり  営業時間/11:00~20:00(平日) 11:00~18:00(土日祝)

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※このシリーズはインタビューを基にオリジナルに構成したものです。(取材・執筆クボタ 撮影イワモト) 文責:日本パイ協会
※ブログ「パイ日和・おまけ」では、このお店の焼菓子を紹介しています。
※リンクで飛んだ先のブログ「パイ日和」「パイ日和おまけ」ページは古い記事で、価格の表示がその時点のものであることをご承知置きください。