★トップシェフの眼光(第14回・続編)「パンと暮らしのサ・マーシュ  西川功晃シェフ」


トップシェフの眼光(第14回・続編)

「パンと暮らしのサ・マーシュ(2018年9月15日リニューアルオープン)  西川功晃(1963年生)」



時代を切り開いた後、自分自身の道を模索する。


本稿は、リニューアル期間中にインタビューした原稿(8月13日にアップ)の続編。再オープンして2ヵ月を経た心境を聞いています。



◆一人の限界と闘いながら◆

西川シェフは「コム・シノワ」でシェフに就任して以来、スタッフがいることを前提に仕事をして来た。修業時代も、基本的に一人ですべてをこなすという経験はない。「ビゴの店」のときにスタッフが逃亡したその日1日経験したことがあるくらい。それでもバゲットのモルダーはあったし、パンの種類は少ないし、ふいにやってきたフランス人パン職人にも手伝わせたし。
ということで、リニューアルオープン以来、ワンオペーレーションという初めての経験で猛烈に自分を追い込む日々が続いている。
計量、撹拌、醗酵、分割成形、二次醗酵、焼成、仕上げ。その他、具材の調理もあるし、醗酵工程が複雑化するものもある。さらには、掃除と洗い物、在庫確認に発注業務など。生地6種、商品アイテム20数種、すべてをこなすのは骨身を削るほどのハードワークだ。
それをやり遂げる恵まれた体力の持ち主だから、スタッフが大勢いた時と比べて売上が落ちていないという。先日など売上最高記録もたたき出したほどだ。
でもさすがに、このままでは続けられないという肉体の悲鳴が聞こえ出した様子。睡眠時間2時間半を5時間に増やした。従来は寸暇を見つけては瞬間睡眠で補っていたのだが、一人になってみると、その補いが付かなくなり、仕事の能率が落ちていた。霧吹きを終えて、オーブンを締めた姿勢のままで、じっとしていることにハッと気付いたりすることが増えていたのだ。
ところが睡眠を増やしたら(通常人と比べればまだ少ないけれど)、ぐんと能率が上がり、翌日の仕込み開始時間の夕方4時を守れているという。自分一人のオペレーションを実地に試しながら、何が無駄で何が本当に必要なことなのか、生活の仕方から根本的に改造して行こうとしているところだ。
かつては、斬新な商品開発、止まることを知らない溢れるようなアイデアでパン業界の地平を切り開いて来たが、今はじっくりと自分の心のうちを開拓しようとしている。


◆人に素直に謝れる純真無垢な熟年◆

あまりのハードワークに掃除と洗い物のパートさんを一人雇った。使い放題の番重を次々に奇麗にし、床からキッチンテーブルからゴミ箱までみるみる奇麗にしてくれ、作業環境が良くなるほどに、自分の作業に集中出来、人のありがたみをつくづく感じている。
仕込みが遅くなり、夜の9時を過ぎた頃、奥さんの文さんから「まだ終われない?」と声を掛けられ「もうちょっとかかるなあ」と答え、しばらくして作業をし終えて見ると、あらたに増えていた洗い物が片付いていたりする。ちょっとした作業でも助けられてホッとするのだという。
こういう体験をしてみて、いままでスタッフに口やかましく叱るばかり、若い時には手や足が出てしまうことまであった。まるで感謝ということがなかったと反省しきりなのである。
このインタビューをした日は、前日が西川シェフの誕生日で、かつての弟子たちからプレゼントが届いたり、当日は西川一門の同窓会が開かれるのだった。その準備の合間に話しを聞いたのだが「今日は彼らに謝ろうと思って」と叱られた子供のように萎れてみせる。それだけ慕って集まってくれるのだから、すでに許されていることだし、彼らにしてみれば厳しい指導を糧に成長したことを理解しているのだろう。そういう時代でもあった。
それでも自分を許すことなく、間違いに気付いたら正直に謝らずにいられない性格なのだ。だからこそ、誰からも愛されるシェフなのにちがいない。


◆人がいれば有り難いけれど、やはり自分の道を◆

夫婦二人に販売スタッフ数人、洗い場のパートさん一人という体制になって、すごく気が楽になった。以前は土日などの忙しい日には、何かトラブルが起こってスタッフを叱ったり、尻を叩いたりという監督業務に追われるのだろうなと思うと、出掛けるのが億劫なことが多かったらしい。リニューアルしてそういう精神的なプレッシャーが無くなり、夫婦揃って「気持ちが楽だね」と言い合っているという。
また、商品アイテムでも、スタッフを大勢抱えていると売上優先となって作りたくないものも妥協して作らざるをえなかった。たとえばモチモチ食パンなどはシェフの趣味ではないし、糖分が多過ぎて毎朝こんなものを食べていたら糖尿病になるんとちがう? などと罪悪感を感じながら焼いていた。食パンは自分がどうしても焼かなければならないパンとは思っていないが、今はご近所の要望を聞いて『山食』8本、『角食』20本程度を焼いている。今後は本来願っている健康で安全な食に突き進んで行けるだろう。
夫婦二人の自適のための店というコンセプトを明確にすることで、嫌なことをせずにすむようになったことも大きい。
パン業界のスターシェフとして社会的なお役目も沢山仰せつかって来た。それもたとえば「クラブ ド ラ ガレット デ ロワ」の副会長を退いたのを筆頭に、自分にとって何が重要なのかということを見極めて、仕事量を制限しはじめている。
ただ、縮小方向だけでなく、神戸・兵庫の食育は本格化させる道筋がついたようだし、あらたに「シュトーレン協会」も立ち上げた。“したいこと”に対しての貪欲な姿勢は衰えを知らないどころか、ますます強まっているようだ。

リニューアルして2ヵ月。
一人で店を維持して行くだけの売りを立てられることがはっきりした。今後は実際にどれだけの売上を目指すべきなのかという現実と照らし合わせながら、いよいよ具体的に商品アイテムの見直しが本格化することだろう。

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※敬称略/このシリーズはインタビューを基にオリジナルに構成したものです。(取材・執筆/久保田僕)  文責:日本パイ協会