パティスリーアキト AKITO(8) 『ミルクジャムのアップルパイ』

いまや神戸洋菓子界を代表する存在となった「パティスリー AKITO」さん。シェフの田中哲人(あきと)さんは超多望の身。
「3.14=π(パイ)の日 R」キャンペーン(第17回)の期間は百貨店の“フランスフェア”がバッティングし、寝る間もないほど。にも関わらず、“パイの日”も欠かさず熱心に参加してくれるのですから、根っからのパイ好き。もちろん、パイの達人。
今年はいつにも増して力が入り、思い入れたっぷりの作品を投入してくれました。話はちょいと長くなりますが、アキトさんの“アップルパイ物語”、どうぞゆっくりお愉しみください。


●『ミルクジャムのアップルパイ』  辺10cm 高さ4.3cmほど。
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田中シェフは独立以前「ホテルピエナ神戸」の「菓子sパトリー(現「ルシオル」)」のシェフを長らく務め、“ミルキッシュジャム”を一大ブランドに育て上げたことで有名です。

そのミルクジャム作りの切っ掛けになったのが、じつはアップルパイ。
うん? 何の関係があるの、とお思いでしょうね。では、その誕生秘話からじっくりお話ししましょう。

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震災後、田中さんがまだスーシェフで、製菓長をしていた白岩忠志さん(現「ラピエールブランシュ」シェフ)が抜けた時期。総料理長の中村新さん(現在はフードプロデューサー)が考案したデセールが『ミルクジャムのアップルパイ、黒糖のアイスクリーム添え』。そう、その当時「フォション」のミルクジャムが流行っていたのです。
中村さんは当時の最先端であるフュージョン系の旗手であり、枠にとらわれない自由な発想の持ち主(私たちも90年92年に大阪堂島浜「リオンドール」で食事を楽しんだ記憶が、懐かしいなぁ)。林檎を生やバターソテーで使うのではなく、コンポートしてミルクジャムで和えるという、新しいアイデアをあみ出したのでした。
田中さんはシェフのレシピに従い、「フォション」のものを使って作っていたのですが、ある日、自分でミルクジャムを作ってみようと思い立ったのが、ヒット商品(「AKITO」でも主力商品/内容はそっくりそのままではありません、念の為)を生み出す契機になったのです。
修業を開始した「神戸ポートピアホテル」時代もアップルパイをよく焼いていたので、いろんな意味で“原点”となったお菓子。
本人曰く「満を持して、登場させます!」。優しげなまなざしがいつにも増してほころんでいました。

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さてさて。今回登場の『ミルクジャムのアップルパイ』の生地はアップルパイでよく使われるラピッドではなく、オーソドックスなフィユタージュ。基本通りの、強力粉:薄力粉=1:1、3ツ折り6回、醗酵バター。
林檎はその時季のものを選び、コンポート(レモン風味)にしたものをお店の看板商品であるミルクジャムで和え、シナモン香るクランブルとともにパイ生地で包んで焼き上げます。

心弾ませながらながら、いっただきまーす。
ラピッドのゴワッとしたアップルパイ(昭和のアップルパイと勝手に名付けているのですが、これはこれでノスタルジーを感じていいものです)を食べ慣れていると、なんて繊細なんだ、と感じるでしょう。
サクサクの生地は完璧に焼けていますが、林檎の蒸気を吸って、どこかしっとりした優しさを秘めています。パイならではの絶妙な空気層と風合いの軽やかさ。
そして、たっぷりの林檎。とろっとしてジューシーさも併せ持つ林檎がたまらなく美味しいよぉ! 
しっかりした酸味がミルクジャムに包まれて柔らかな角の取れた味わいに。しかも、満足感を覚えさせつつ、飽きのこない自然な甘さ。スッキリとしたシナモンの香りが時折ふっと過るのも、後味を奇麗にしているようです。うんうん、「AKITO」さんならではの上品さ。
どこにもあざといところがなく、あれもできます、これもできます的技巧も感じさせず…… さりげない顔をしていて、奥行きが深い。ほぉぉぉ、じんわりと心に響く美味しさでした。

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ここからは「パイ日和」のいつもの独断です。
“アップルパイ物語”、この道30年の田中シェフだからこそ紡ぐことができたお話だと思いました。
というのも、姿はいつもの洗練の極致をいくようなシャープな線にせず、手触り感のある当時作っていた雰囲気を残した素朴さ。あえての、この姿。
そして、昭和世代だけじゃなく、多彩なパイを食べ慣れている平成世代も満足できるスタンダードなフィユタージュとの取り合わせ。毎回のように折りを微妙に変えるほどに、フィユタージュの質にこだわる田中シェフ。原点にかける想いの深さが伝わって来るようです。
しかし、何故いま原点なのか。50歳を超え、お店もオープン以来順調に推移し、安泰といえば安泰。普通だったらほっとしてしまうところですが、田中シェフはつねに自分を見つめなおすことを課しているのでしょう。だからこそ、初心を大切にし、原点の頃の真摯さを忘れないようにする。
そういった想いや記憶や経験が歳月を経て、昇華して、今だからこそ作れた、いや今だからこそ作りたいアップルパイ。たとえルセットをコピペして作っても、「AKITO」のミルクジャムアップルパイにはならない。そう、美味しさに近道はないのです。



告白してしまえば、関西にこれぞというアップルパイが少なく、手土産に困っていました。本格フランス菓子のシェフたちは、林檎を使ったパイはショソンタルトタタンかガレット。もちろんどれも大好きだけど、まーるくてみんなで分けて食べる、心がぽかぽかするようなアップルパイ、欲しかったのです。
これでようやくお土産好適品の大きな穴が埋められたと云えるでしょう。目出度し目出度し~!



●『ミルクジャムのアップルパイ』400円/最初はカット売りが基本ですが、次第にホール販売も (※外税)

●「パティスリー AKITO」
  神戸市中央区元町通3-17-6  TEL078-332-3620  定休日/火曜  営業時間/10:00~19:00