★トップパティシエの眼光(第11回) 「グロス オーフェン 清水敬之シェフ」

トップパティシエの眼光(第11回)   

  「グロスオーフェン(1981年オープン)     清水敬之シェフ(1951年生)」



       ケーキ職人である前に、まず暮らしを深める



最初にお断りしておくべきことは、このインタビューは清水シェフが固辞するのを無理を承知で押し切って実現したものだということ。シェフは自分がどういう人間だとか、どんな哲学を身につけたとかを得々と語ることを良しとしない性格。一職人として、無名のままご近所の日常の需要を満たせばそれでいいという考え方なのだ。だから語るべきものはないということで一旦は断られたのだった。
しかし、最近は逆にそのような職人魂が失われ、アーティストとしての存在に人生の意義を見ようとするパティシエが増え過ぎたように思う。職人的技量や責任感が伴わないのに、いきなり最終的な表現に走る若手が増えていることに半鐘を鳴らしたいと、厭がるシェフにご登場いただいた。
言っておくが、シェフ自身は個人が個人の責任の範囲でやっていることだからと、他店批判は一切しない。もし、批判めいた言葉があるとすれば、その責任は筆者にあることを申し添えておこう。



◆一人で生きていく道を求めて◆
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清水敬之(よしゆき)少年は、先々代からつづく製本業の家庭の次男として生まれた。
父親の代にはすでに機械化が進み、手作業の製本はほとんど行われていなかった。祖父が趣味で丁合をしてみせる、その作業には惹かれるものを感じていた。ちょっとした手作業、工作、美術などは好きで、いまでもそういった方面に友人をたくさん持っている。
シェフはクリスマスシーズンの到来が待ち遠しいらしい。夏にはクリスマスケーキの試作は放ったらかしにして、店の飾り付けのデザインをあれこれ考え始める。いよいよシーズン到来となると、ヘキセンハウスやクッキーリースの組み立てにいそいそと取り組むのだ。根っから好きなようだ。

中学の頃から自分は一般のサラリーマン、会社勤めは向かないだろうと思っていた。かといって父親が薦める印刷の仕事も億劫だった。家業の製本は長男に継がせ、敬之には印刷の仕事を、というのが父親の敷いたレールだったのだが、本人、機械油のねっとりとした感触が嫌いだった。
ずっと心に残っていたのが中学に張り出されていた、調理師学校のポスター。高校生にもなると、料理の世界に進みたいと思うようになった。家族で父親と敬之だけが夜更かしで、夜食にラーメンをよく作っていた。父親が“お前が作るラーメンは美味しいな”と、即席ラーメンであるにもかかわらず、味が違っていたようでよく誉められていたという。「単純にそれだけで料理の世界がいいなと思ったんですね」。

料理と決めたら食べたこともないのにフランス料理と決め、フランス語を勉強するのも悪くないなと思ったそうだ。
料理の道は反対されるからと、表面上、大阪外国語大学に入学を決め、一方で、両親に内緒のうちに辻調理師専門学校にも申し込んだ。いよいよ学費を払う段階になって、両親に打ち明けた。父親が猛烈に怒り、大学での勉強をどうするつもりだ、と詰め寄られたが、大学は夜間で、両方をまっとうするからと懇願して、ようやくというか渋々認められた。

調理師学校で食べたお菓子が、「今まで食べていたものは何だったのだろう」と思わせるほどに美味しく、お菓子もいいなと開眼。辻調は今のように2年制ではなく1年制だったので、翌年にはお菓子屋さんに就職した。
比較的自宅から近いところに「ルフラン」という当時としては最先端のフランス菓子の店があり、めでたくケーキ職人の生活がスタートした。筆者の手元にある、1981年に講談社から発行された「厳選日本の味 大阪神戸」という本に、大阪を代表する名店の一つとして紹介が出ている。もうその当時には清水は自分の店をオープンするのだが。
大学も継続していて夜間なので5年かけて卒業した。

「ルフラン」のシェフは「風月堂」出身のプライドの高い人で、基本技術にとてつもなく厳しかったという。生クリームを何リットルも立てるのも、カスタードを炊くのも、フォンダンを煉るのもすべて手作業。クリスマスシーズンのように多忙を極めている時期でも、一切の手抜きは許されない。最初はとてつもなくしんどかった作業を徐々に克服していったのだが、清水がどのように頑張って作ってみせてもOKが出たことがなかったそうだ。
ケーキをカットするにも包丁がどこまでも鋭くなくては許されない。少しでも切れ味が悪いとケーキの断面が荒れて(素人目は分からない範囲)表面積が大きくなり、乾燥しやすくなるといって叱られる。清水は毎日包丁研ぎに精を出し、つねに手が荒れていた。
肉体的にきついだけでなく、精神的にも辛い思いばかりしていたとのこと。清水は我慢して長く勤めたが、他の弟子はほとんど続かなかった。

次の勤め先は、東京。「ルコント」で面接を受けたところ、半年待ちになってしまい、街をウロウロしていた時に目に入ったのがドイツ菓子の店「カーベー・ケージ」 。覗いてみると知らないお菓子ばかり。店主に会ってみると話がはずみ、来てみるか、ということになり、そのまま就職してしまった。「ルフラン」とは逆にラフな作業に感じられたそうだ。外へ出てみて「ルフラン」の厳しさのありがたみが分かったという。ラフなところで修業してそれがすべてだと思えば、それ以下にしかなりようがないが、厳しい人に徹底して厳しくしごかれたおかげでラフなやり方の良さと、丁寧なやりかたの良さ、その両方を学ぶことができた。
ご主人はいい人で、給料は4年間ずっと月3万円と安かったが、寮があって、近くの食堂でご飯は食べられるし、銭湯代も別に貰えていた。慰労にレストランに連れて行ってもらったり、旅行にも行ったり。チーフは同い年、善人を絵に描いたような人で、嫌なことを率先してやってくれる。スタッフ全員仲良く、毎週、休みの前日の夜は新宿へ繰り出していた。
楽しい生活ではあったのだが、気が合ったはずの主人夫婦が、じつは大の大阪人嫌い。何かあるごとに清水だけが叱られた。しかも当時、ケーキ職人に大卒は珍しく、目の敵にされることも。「おまんたは(新潟なまりで、お前さんは)大学出ててこんなことも分からんかね、こんなこともできんかね」と当たられ辛かった。それでも、仲間たちとの楽しい付き合いがあったので、嵐が過ぎ去るのをじっと我慢することにしていた。

19歳から始まって20代のすべてが修業に明け暮れ、ひたすら我慢の日々だった。

1981年、30歳で独立し、箕面市桜井に「グロスオーフェン」をオープンさせた。
当時は職人を雇って「カーベー・ケージ」と同様にコンディトライ=菓子、ベッカライ=パンの両方やっていたので今より大きな店だった。12年前に現在地に移って店の規模を縮小、人数も減らし、菓子だけにし、今に至っている。
自分一人の力で生きていく道しか進めないだろうと中学の頃から覚悟していた、まさにその道を歩みはじめたのだった。




◆生活の潤いをもたらす活き活きとした感性◆

清水シェフは天王寺で育った頃には街を歩いていて緑の風、薫りを感じる経験はなかったが、34年前にここ桜井に店をオープンしてからというもの、季節ごとに木々の発する薫り、花の香りに魅せられるようになったそうだ。
とくにミニチュアシュナウザーと3代にわたって生活をともにし、パンとお菓子作りで寝る間もなかったはずなのに、その合間をかいくぐって散歩に行っていた時に、あ、山梔子、おっ、金木犀と季節の花の香りが過るごとに人の暮らしの本質を見出すようになったようだ。庭仕事も好きで、季節ごとに種を撒いたり、蔓を這わせる支柱を立てたりといった作業の年々の繰り返しに幸せを感じるという。

この日、お店から5分もかからない裏道にある自宅に招じ入れられたのだが、緑の多い小径であり、そのアパートの入り口に唐小賀玉(からおがたま)の木が植えられていた。ちょうど目立たないつぼみが花を開きかけた時機だった。照り葉に隠れ、萼は緑褐色、その先に基部が紅紫色で先が純白の花弁がのぞいている。楚々としたその風情もさることながら、清らかで気品の高い香気の素晴らしいこと。この香りを体験させるために、インタビュー場所を自宅にしたのではないだろうか。
小賀玉の木は古今伝授の三木の一つに数えられている木で古人にも愛された知る人ぞ知る木であり、歌に詠われてきた由緒ある木。今では三木といっても小生同様、だれも知らない世の中になってしまっている有様。
清水シェフが植木屋に白い花で香りのいい木をと頼んだところ、植えられたのがたまたま小賀玉。植木屋もシェフならばこの趣味を理解してくれると踏んだのだろう。

画像アパートの中に入ると、外観よりはるかに広い間取りに、背の低い日本家具を配し、藍染めの布を掛けていたりする。趣味よく整えられ、居心地のいい空間を作り出している。スタッフたち(勤続18年の立山さんと12年の臼井さんの同級生コンビ)の休憩用にも貸しているという。スタッフたちが羨ましくなるくらい。とても独り身の暮らす場所とは思えないほど潤いに満ちている。
テレビはあまり観ず、好きな音楽(アイリッシュケルト、歌謡曲、ポップ…と多様)、映画(ミニシアター系)とともに過ごす。時にネットも。自分にとって何が必要かをこころえ、自身につねに栄養を与えつづけている。インタビュー中は話題に上ったアーティストのCDを何枚もかけてくれた。

いつも、お菓子を買う時に、その作り方を尋ねると、大したことはしていない風のことを言って逃げてしまうけれど、ことが映画の話に及ぶと止まらなくなる。ほかにも音楽であったり、サイクリングであったり、園芸、手織り布のコレクションなど多彩な趣味があり、どうやらすべてに一家言あるところまで掘り下げているようだ。今何が流行っているかといったことについては無関心でいても、ポジティブな自立した清水敬之という大きな存在が、職人清水シェフの背景に動かしがたく存在している。

最近、新聞の記事があまりに愚劣で読めなくなったといい、まだ政治も経済もしっかりした批判の目を持ち、文化面が充実していると評判の東京新聞を郵送で取り寄せている。この日も月曜で、3日分がまとめて送られてきており、玄関にあった。筆者も5大紙の記事に信頼をおけなくなって止めてしまったが、他の何かを探すところまでの熱意は持てずにいた。
社会へのアクティブな関心を持ちつづけていないとできないことだ。フランス語学科卒業生として、サルトル流のアンガージュマン(社会参加)精神が生きているのだろうか。
かつて思いもしなかった方向へ社会が進みつつあることへの静かな憤りはあるものの、まだまだ自然の息吹が感じられる中での暮らしを謳歌すること、これが清水シェフのお菓子作りの基盤であり、地域の人たちに自分が作ったものとして責任をもって手渡せるものを作っていく。この地に30余年商売をつづけて熟してきた考え方だ。




◆プロがまっとうすべきこと◆

清水はパティシエと呼ばれることを嫌っている。「あえて言うなら職人ですね」。
簡潔な答えだが、その意味するところは深い。職人とはプロの仕事人のことであって、パティシエという言葉が現在の日本で帯びている虚飾の部分を削ぎ落とした、実質的な仕事に立ち向かう姿勢を含んだ言葉だと言えるだろう。
お菓子屋というのは徒歩圏内のお客、長くやっていればほとんどが顔見知りになってしまう、そんな狭い世界の需要に責任を持つ仕事だ。来店するお客の顔を思い浮かべれば、ウソの吐けない仕事でもある。素材を吟味し、全精力を込めて作らなければならないし、暴利をむさぼることも許されない。なにか問題が起こればできる限りのことをして誠意をもって対応する。プロの責任を果たすこと、それが職人の生き方だ。

本人は「新作の開発は苦手で、スタッフや貴方たちにせかされないと延び延びになってしまう」と謙遜し、作家性を否定する。「子供の時から同じことを繰り返しやりつづけることが好きだった。何十年やっているけれど飽きないですね」と、性格的に職人に向いているんだと説明してくれる。今日と同じ明日がやって来ることが嬉しい。

しかし、筆者はこの言葉を素直に受け止めるのではなく、深読みしたい。
「グロスオーフェン」の品揃えはかなりの部分「カーベー・ケージ」の品揃えを引き継いでいる。「ルフラン」よりラフな(素朴なと言い替えるべきかもしれない)スタイルが自分に合っていた、ということもあるが、ドイツの伝統の重みを知るからこそ、一個人で変えられるものではないし、新作を作るといっても、歴史を経たお菓子と比較した時に、どうしても浅薄に感じられるという知性派ならではの自己否定が働いてしまうのではないだろうか。

「最近になって、2、3年前くらいからかな、“混ぜる”ということの意味がやっと分かってきた。後なんぼもない時になってね、あはは」と、分かることの快感を語る。
ここに来て、今まで以上に気持ちよく仕事ができているという。
メレンゲや生クリームなどの立て方、粉の扱いの話なのだが、混ぜているときに、いま泡がどういう状態で、焼けばどういう仕上がりになるかが、天気や温度との関係も含めて手に取るように“見える”ようになったそうだ。これは若手が言っているのではない。それまでに他店よりはるかに風味のいいお菓子を焼いてきた人の言である。今新たに特別な境地に至ったのだろう。
本人は「早くに成功する人は、若いうちにこういうことが分かってしまうんやろね」と、あくまで謙遜の姿勢を崩さないのだが。

ケーキ作りの基本動作、粉を振って空気を含ませること、生クリームもメレンゲもきめ細かく均一の泡を作ること、などなど。混ぜ方や温度の管理、あるいは、お菓子を組み立てる時に、何が主役かをじっくりと考えてバランスに配慮する。どれも当たり前のことにすぎない。
ただ、だれもがキッチリやっているつもりなだけで、じつは出来ていないのだろう。長年漫然と同じ作業を繰り返しをしていると、微妙な変化にも「そんなもんでしょ」と鈍感になるのだろう。シェフは当たり前のことをしながら、試行錯誤の日々であり、日々の最終調整をしているとのこと。長年やってきたからと決めてしまわずに、毎日の微妙な変化を見つめつづけている。
だからこそ“見える”ようになったのだろう。
この試行錯誤にこそ、「グロスオーフェン」のお菓子を日々、最先端のものへと押し出す秘密が隠されているのだろう。慣れた作業の先に、ほんのわずかながら微調整を繰り返す。そこに、小さいながらも今までにない新しい試みを付け加える。
これが清水シェフの伝統菓子を、最前衛のお菓子に引けを取らないだけのものに高めている創造的な仕事といえるのではないだろうか。




◆素朴の中の洗練、風味の中にこそ気品が◆

ドイツ菓子は基本、素朴なものが多い。素材の組み合わせはせいぜい3つか4つ。最近のフランス菓子の若手が作る6つも7つもパーツが組み合わされるような複雑さとは無縁。
では、単純かと言えば、そうではない。「ルフラン」での作業に比べてラフだったというけれど、大雑把かというと、そうではない。素朴さ、単純さからくるイメージを快く覆す繊細さと、洗練の極にある美しい味わいに満ちている。一口食べて目を見張るのは風味の豊かさだ。

「特別の素材は使ってへんし、特別のことをしている訳でもない。当たり前のことを当たり前にしているだけなんやけどね。他所より風味がいいと言われると、他所はどんなことしているの、と逆に思ってしまう」と不思議そうな顔を隠さない。
材料選びは生クリームで好きなメーカーを選んでいるくらいのことで、アーモンドの産地にこだわるような、売価に跳ね返るようなことはしていない。生ケーキは材料代の高騰が続く中、ギリギリ300円台をキープ(外税なので結果的に超えるものもあるが)しているのは今時珍しく、ありがたい限り。

画像たとえば『マザリン』というドイツの古いレシピ本にすでに紹介されているお菓子がある。
シェフが無骨と呼ぶ素朴さ。
シュクレ生地の器にクレームダマンドの卵黄の代わりに卵白を使ったもの、底にほんの少しのラズベリージャムを偲ばせている。トップにはアーモンドと、ポンヌフのようなパイ生地の十字模様。
卵白生地のサクッとした小気味よい食感、シュクレの滋味、ほんのわずかなジャムのハッとするほどの鮮やかさ。
元々美味しいお菓子だからこそ、伝統菓子として作りつづけられているのだろうが、これだけの目覚ましい味わいは清水が、つねに自らの技術を見直し、味わいを見直しつづけているからこその境地に違いない。
その張りつめた精神があるからこそ、同じことを何十年やっていて飽きないし、新作にかまけている時間などないのである。おそらく子供時代からものごとを深く見る習慣が身に付いていたから、この仕事に向いているのだろう。


画像たとえば『ボーベス』
ドライフルーツ(レーズン、オレンジピール、レモンピール)をマジパンローマッセをシロップで溶いたものとケーキクラムで和え、シュクレ生地で巻き込み、トップにシュトロイゼル。小口から切って焼いたもの。
マジパンのアーモンドの香りとドライフルーツの香りのせめぎ合いが、華やかなフルーツが乗っているケーキよりも鮮やか。ドライフルーツの入っているセンター部分のややねっちりとした食感、シュクレのサクッほろ、シュトロイゼルのザクザク。食感のグラデーションの楽しさ。
寛いだお菓子なのに、どこにも隙がない。
小さな焼き菓子に過ぎないが、食べ終わって大きくため息をつき、いいものを食べたと得心するだろう。


画像たとえば『ヴァルヌスシュニッテン』
ジョコンド4枚、間にチョコスポンジ1枚。生地の間にはコーヒー風味のバタークリームとカラメリゼしたクルミのダイス。生地の表面はチョコでコーティングしている部分もある。
この内容はフランス菓子では“アンブルノワ”“カフェノワ”の名で通っているものに近いと言えるだろう。しかし、似たような組み合わせでいながら、別の解答を見つけている。
ジョコンドのアンビベを控えめにし、バタークリームの量も少ない。一方がクリームのお菓子であり、たっぷりのアンビベ、柔らかな食感で濃厚なクリームを楽しませる心躍るケーキであるのに対して、シェフのシュニッテンはあくまで生地主体のお菓子であり、クリームによって食べやすくしているにとどまっている。
そのおかげで、噛む回数が増え、クルミの香りがより高くなる。コーヒーやチョコレートはあくまでコントラストを与える背景であり、アーモンド風味はクルミの香りにゆるやかな輪郭を与えている。おそらく、ジョコンドの強さとバタークリームの量の割合に関しての試行錯誤がつづいたことだろう。
食べ終わってこれほど納得感の強いケーキも珍しい。落ち着いて深く味わうものになったからこそだろう。敢えて、今風の食べやすさを目指さないことで風味豊かな味わいを手にすることが出来、媚を売らない気品高いケーキに仕上がったのだった。
本人は、狙ってしたことではなく、あくまで結果に過ぎないと言うのだが。




◆ローカリゼーションの時代◆

インターネットで数年前のヨーロッパのドキュメンタリー映画を観たそうだ。「幸せの経済学」。
世界中を席巻したグローバリゼーションはだれも幸せにしないという論旨で、これからの時代、逆の方向のローカリゼーションによって幸せを手にすることが出来るのではないか、という提案を投げかけていたという。
情報に押し流され、世界中のいろいろなものをネットで瞬時に手に入れ、私たちの暮らしは随分便利で豊かになった気がするけれど、逆に失ったものがあるということだ。

「グロスオーフェン」は、利益を上げるかもしれないが、ネット販売で誰か知らない人たちと付き合うことはしたくないそうだ。店主と客は顔見知り同士のことが多い。30年以上、地域社会の絆である人と人のつながりを大切にしてきた。だからこそ、自分が納得したもの以外は使わないし、使えない。「普通に作っている、普通のお菓子。顔を見知った地域の人が通う、普通のお店」の信条を持つ清水にとって、この作品への共感は当然だろう。

この普通さ(以前はこれが主流だった)が、じつはすでに貴重な存在になりつつある。
市井の人々にとって、こういったお店が気張ったりせずに、なんとなくある、というのが“豊かさ”の証と言えるだろう。いまでは影を潜めてしまった町のそば屋、うどん屋。別にご大層なこだわりがあるわけではないのに、日常食として当たり前に美味しい。しかも懐が痛まない。彼らは、清水がしているように、すべきこと、してはいけないことを職人の当たり前として淡々と取り組んでいた。今では失われてしまった高い基準の普通が暮らしの中に根付いていたのだ。
客の方も同様に、“当たり前”についての厳しい基準を共有し、にわか仕込みの派手な店や、企業が展開する店などが出来ても、“お前んとこの方が旨いよな”と、自分たちの店を支えるすべも知っていたのだった。

今、フランス菓子がグローバルスタンダードになっているのに対して、ドイツ菓子はローカル。桜井という土地もローカル。選んでいるアイテムもドイツ菓子の中のメジャーを外している。バウムクーヘン、ザントクーヘン、クラップフェン、モーンプルンダーなどはない。唯一、シュヴァルツヴァルターがあるくらい。
地産地消が生産物の話だけでなく、地域に根付くお店の話でもあるとすると、それは客が店の主人の趣味を認め、逆に客の好みも受け入れる商売の在り方に行き着くだろう。お互いの個性を認め合うこと。となれば、自分の好みに徹すること、「グロス・オーフェン」の特有の品揃え(ドイツ菓子を中心にフランス菓子もあるし、客のリクエストによる中華デザートも、スタッフが作りたかったイギリス菓子もある)こそが究極のローカリゼーションといえるのではないだろうか。
またまた、たまたまではあるが、古い考えを頑固に押し通していたら、周回遅れのように時代の新しい考え方と合致してしまったということだろうか。

普段言わず語らずの人で、お菓子のことを講釈しないのだが、人柄、考え方はお菓子を通じて自然に伝わって来るものなのだ。シェフのお菓子に惹き付けられて止まないには、ちゃんと理由があった。
こういう暮らしぶり、生活信条だから、シェフのお菓子があり、商売の仕方がある。
インタビューしてみて、長年の疑問が氷解した思いがする。


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※敬称略/このシリーズはインタビューを基にオリジナルに構成したものです。(取材・執筆 久保田僕  今回の撮影 岩本律子)文責:日本パイ協会

※ブログ「パイ日和・おまけ」では、このお店のケーキを紹介しています。

※リンクで飛んだ先のブログ「パイ日和」「パイ日和おまけ」ページは古い記事で、価格の表示がその時点のものであることをご承知置きください。