●特集10 祝!「なかたに亭」創業25周年

2012年4月13日、本日「なかたに亭」が創業25周年を迎えた。
1987年、創業当時、大阪のフランス菓子は「ホテルプラザオオサカ」を中心に、ホテルでようやく食べられるものだった。町場では駒川の「ルフラン」、帝塚山の「ポアール」、難波の「インナートリップ」、心斎橋の「ル・アイ」など数軒、フランス菓子らしいものがあったが、どこか日本人向けのアレンジがなされていたように記憶している。
そのような状況に出現した「なかたに亭」は、リアルタイムのフランスを感じさせると同時に、フランスの伝統菓子のあり方、味の濃度や、組み立てのダイナミズムのようなものを一気に花開かせた感があり、強い衝撃を与えたのだった。以来25年間、少しもブレることなく“中谷哲哉の味はこれだ”という自信に満ちた味と精神が貫かれている。
そして、近年猛烈な勢いで弟子を輩出し、中谷精神が急速な広まりを見せている。

今回の特集は、中谷精神の定着を祝うと同時に、今後の展開に迫ろうと、中谷シェフ本人と、昨年関西圏で独立を果たした、弟子の村田義武シェフ(「ルシェルシェ」)、山川大介シェフ(「ラクロワ」)の3人から取材した。
(※書き手はクボタ/敬称略)


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◆「なかたに亭」不変神話の源を探る
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この25年間で、一時期「なかたに亭」を追い抜いたかに見えたケーキ店が何軒か存在した。
しかし、それらの店は、徐々に勢いをなくし、廃業に追い込まれたり、時代の後景に追いやられたりしてしまった。彼我の差はどこにあるのだろう。
中谷シェフにじっくり取材することで、答えが見えてきた気がする。


中谷シェフは材木商の長男として大阪に生まれた。ラグビーに打ち込むスポーツマンだった。周囲の期待も当然、家業の跡継ぎ。本人もなんとなく自然の流れで大学の経済学部に進学。
しかし、3回生となり進路を決める時期に、自分が何になりたいのかを考えてみると、“料理をしたい”という気持ちが湧いてきたという。長野のペンションでアルバイトをした時に知り会えた、フランス帰りのシェフの影響だ。父親もしぶしぶ了解し、卒業後、辻調理師専門学校(辻製菓はまだなかった)に進むこととなった。
1年間の勉強の間に、料理の世界に魅了されながら菓子の世界があることに目を開かれる。友人が料理人になると決心しているのを見て、“じゃ、自分は菓子の世界へ”と、ついに足を踏み入れることに。
これは当時としては大きな決断だっただろう。パティシエという言葉もまだ一般化していなかったし、まして、職人の格付けは料理人の下に置かれていた時代のことである。よほどのお菓子好きか料理を諦めるなにかがなければ料理に進むのが普通だったのだ。
少年時代の中谷は、けして特別のお菓子好きだったわけではない。普通の子供がお菓子を好きだというのと同じレベル。料理の世界からお菓子の世界へという、本人は強く意識しない、フッとした大英断が今日の中谷を中谷たらしめているのだから、人生とは不思議なものだ。
辻調卒業後、当時、一番レベルが高いと思われた「インナートリップ」に就職。仕事のかたわらフランス語の勉強にも励むようになった。完全にフランスへ行くための準備。自分の力で行ってくるのだから、ずいぶん濃厚な体験が待っているはずだった。

渡仏してみると、パリでは仕事が見つからなかったが、運良く南仏のレストランに就職することができた。しっかり語学を学んだつもりだったが、最初の数カ月はあまり言葉が通じなかった。慣れるにしたがって、次第に文法の応用も効くようになり、コミュニケーションが深くなってきた。いよいよ望み通りのフランス文化体験の始まり。
従業員寮のようなところに下宿して、自炊する毎日。学校で料理のコースにいたので料理は得意だったし、まったく気にならなかった。肉が日本に比べて格段に安いのでふんだんに食べられたし不満はなかった。6本パックの安いワインも呑めたし。強いて不満足な部分を言えば、お金がなくて外食が週末くらいしか行けなかったこと。
それでも、日常の食事を知り、豊富な果物や土地の食べ物を腹に収め、現地の人たちの優しさと人生を楽しむ生活スタイルに触れられたこと、フランス人は意外によく働いて集中力があることや掃除をきれいにするとか、実際に体験しないと分からないことを知ることができた。アレンジされていないケーキ(“ババ”はお酒が利き、“オペラ”はどっしり、…)や現地の味の濃さ、チョコレートの種類の多さ、を体験できたことが大きな糧となった。情報はすでに大阪にいても得られていたから、身をもって体験するということが大切だった。
持ち帰ったのは体験であり、違和感なく好きになり、自分のスタンダードになった現地の味である。
   
帰国して、大阪、西心斎橋のレストラン「シェ・ワダ」のパティシエに就任。カリスマシェフ和田信平の店だ。
ギラギラと光る破天荒な才能で、フランス料理の世界を一気に躍動させたシェフ。素材の旨味を抽き出すためには、まったくルールにとらわれることがない。素材の組合わせ、日本の素材であれ、中国の香辛料であれ、料理の最終着地点に必要なものであれば躊躇なく使った。その横にいて、華々しい料理に負けないデザートを作るために、あらゆる可能性を追求しつくしたのが、中谷シェフだ。
トリュフやスパイスなど料理素材もよく使い、料理とお菓子に垣根がないことを身をもって示すことのできた充実の期間。

「シェ・ワダ」で3年を過ごし、満を持してオープンしたのが、上六「なかたに亭」。弱冠29歳にしての独立。ケーキの世界をめざして、わずか7年の早業である。
今も変わらぬ味で提供されている『マルジョレーヌ』や『アリババ』で、濃厚な味わいを堪能させると同時に、素材の持ち味をしっかり伝え、鮮烈なデビューを飾ったのだった。
筆者 クボタも鮮烈な味わいに圧倒された一人だったが、残念ながら持ち帰りばかりで、「なかたに亭」の本領を味わうことがなかった。というのは、4年後に発行された“あまから手帖 関西のケーキ100選”の取材に答えて、“オープン当初はシェリー酒や白ワインのソーテルヌなどをメニューに入れていたんです。デザートを取り巻く余裕が好きなんです”と語っているから。ゆっくり贅沢な時間を過ごすことができたようだ。バブル絶頂期の考え方であり、長くつづかなかったらしく、その取材時点で終わっていたようだが。今はランチに合わせるワインがあるのみ。
しかし、根本の考え方はここにあるといえるだろう。

画像今回も、“お菓子だけを見ていてはだめなんです。食全体が大切なんです”と、力を込めて語る。
料理の世界からお菓子の世界へ入った人だからこその視点。一つひとつのお菓子が、フランスのどのような生活、食習慣の下に食べられているのか。お菓子を楽しむための背景となる知識と教養を身に付けた人であり、なにより心にゆとりが感じられる。
こちらの旧い出身者から“中谷さんは人生を楽しむ達人だから”との声も聞こえてきている。
その楽しむ姿勢の一端は、時折口笛を吹いたり鼻歌を歌ったりしながらの調理、コーヒーブレイクや賄いの時間に如実に表れている。
コーヒーブレイクは朝の仕込みを終えての一服。キッチンスタッフは全員参加。心を落ち着けて次の作業に取り組むためには、ブレイクタイムへの遅刻は許されない。ゆとりの時間をないがしろにすることはできない。たとえ仕事が遅れていようが理由にならない。仕事にたいする集中と同様にゆとりを持つことが大切なのだ。
賄いは、最近こそ和食も出るようになったそうだが、かつては完全に洋食。テーブルクロスを掛け、ランチョンマットを敷き、ナイフ&フォークの食事。午後2時から3時が完全にランチタイム。これもキッチンスタッフ全員例外はない。店のケーキを試食する時も、立ったままではいけない。ちゃんと座って、ナイフ&フォーク。
儀式に近いかも知れないが、食に携わる人間が食を疎かにしてはいけない、という意識を植え付けるために必須のカリキュラムだったのだろう。

食という地平のすべてを視野に入れた上で、お菓子に対峙する。この姿勢があるからこそ、時代の波に呑み込まれることなく、オーソドックスな落着きと、適度な刺激性を保ちつづけられるに違いない。だからこそ当初からのレパートリーである『アリババ』『マルジョレーヌ』『季節のタルト』といったお菓子が少しも古びることなく、現役でいられるのだ。



◆これからの「なかたに亭」
まったく変化がない訳ではない。昨年、リニューアルを期に再びレジに立つように心掛けているのだという。
繁忙時の補助という実務的な面もあるが、中谷シェフの本当の狙いはお客の声を直接聴くこと。何がどのように選ばれ、どのように受け取られているのか。何に満足を覚えているのか。自店のサービスと商品の現状を再確認したかったようだ。
元々よく店頭に立っていて、古い常連さんは全員顔を覚えていたのに、最近は知らないお客が増えたというのも理由の一つ。顔を覚えて、本当に客を身近に感じるということを大切にしている。店を愛し、隅々まで目を行き届かせる。そこからお菓子作りが始まるのだ。
その結果、“迷いがなくなり、自信が持てました”というベテランらしからぬ、まさかの発言。
25年間、不変のイメージがあり、誰に聞いても“中谷さんブレないよね”というのが決まり文句のように交わされる意見。
それなのに、不動の自信で突っ走るのではなく、少し現場を離れていたら再確認が必要だと感じるし、面倒がらずにすぐに実行に移す。そのようにしてお客との距離を正確に測り、独りよがりに陥らないお菓子を作っているから、地位に胡座をかかないからこそ、逆に不変でいられるということか。

そのような精神で今作り出されている、“これからの中谷哲哉”を象徴するのは『生姜と蜂蜜』『えんどう豆のクリーム』などのお菓子。
どちらも和素材が用いられているが、年齢とともに“和”にシフトしているという意味ではない。仕上がりはあくまでフランス菓子の精神を漂わせている。たまたま、そこに季節の魅力的な素材があったというに過ぎない。
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●『生姜と蜂蜜
スパイシーなサブレが底生地。生姜とライム風味のホワイトチョコムースに蜂蜜のクリームを射込んだもの。夢見るような優しい甘さ。そこに生姜のホットな感覚とライムのスッキリ感、蜂蜜の深い香りの満足感がそっと寄り添っているお菓子。スパイスの香りが意外にも蜂蜜に近く、香りを補強する役割のようだ。
中谷シェフとしては一つのお菓子に込められる要素が多すぎるくらいのアイデア。いつもは二つか三つ。
しかし、食べていて複雑という印象はいっさい抱かない。それぞれの素材が最終の優しい味わいに収束するように、必要最少限に削ぎ落とされているからだ。

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●『えんどう豆のクリーム
季節限定のお菓子だが、昨年までは空豆も入っていたとか。今年からはえんどう豆だけにしぼり、クレームブリュレ風のクリームの低温湯煎焼きのみという潔さ。生地一つのみ。
“若い人だったら、ソースをかけたり、クリームを絞ったり、中に赤いフルーツを射込んだリしますよね”と問うと、“引き算です”とはにかんでみせる。
50歳をとうに過ぎた巨匠には不似合いのようだが、自分の趣味を声高に主張するのではなく、そっと提出する人らしく好感を抱いてしまう。
茶席で出されるお菓子のように季節の楽しみをサラリと用意するところに、究極のもてなしの心が息づいているようだ。

最近は若手の店にも頻繁に出没しているようで、彼らからの刺激でショーケースがなんだか若返ったような感触もある。以前より、『生姜と蜂蜜』に代表されるように少しアグレッシブな主張が増えているように感じられる。
主張を増やしつつ、ゆとりの時間に味わうお菓子としての落着きは忘れない。そのための“引き算”の出番が増えるのがこれからの「なかたに亭」ではないだろうか。



◆類い稀な人材育成の力
かつては若気のいたりで短気の虫も出たようだが、子供を育てるようになってから、弟子たちの個性を受け入れる心の広さが生まれたという。決定的な失敗や間違いは厳しく注意するし、向いていないと思えば退職勧告も辞さない。それは本人のためである以上にお客のためだからである。
それ以上にスタッフを育てているのは、長所を見つけては誉めることだそうだ。そのためには、自分自身の余裕と忍耐が必要だ、と説く。
フランスを移植したかのような、「なかたに亭」の恵まれた食文化を体験し、誉められてのびのびと個性の羽を広げていく弟子がいかに多いことか。
中谷シェフが修業時代影響を受けたのは、学生バイト時代の長野のペンション・オーナー、「インナートリップ」のオーナー、「シェ・ワダ」の和田シェフ。その一人ひとりが強烈な個性の持ち主で、やりたいことをやりたいようにやっている人だった。
だから自分もやりたいようにやるし、弟子たちにもやりたいようにやってもらいたい、という。そして、“こちらが要求する以上は、できる限りのことをやってあげないと”、と愛情をにじませる。

「ブロードハースト」のブロードハースト・ピーター・ジョン、「プルミエール」の古谷信昭を輩出した後、しばらく間が開いたが、ここへ来て、ぞくぞくと独立を果たす有力な弟子が登場しているのは、そのような教育方針の熟成があってのこと。
北海道札幌の「ボン・ヴィヴァン」の久保が2010年7月、大阪府岸和田の「シャルパンティエ マツイ」が2010年9月、三重県四日市市近郊の「シェ・ニノ」の二宮が2011年1月。そして冒頭に挙げた「ルシェルシェ」が同じく2011年1月、「ラクロワ」が2011年9月と相次いでオープンしている。ほかにもレストラン大阪・本町「ラ・シーム」のパティシエール石田の評判も高い。
さらに中谷シェフによると、現在渡仏中の二人パティシエールにより以上の期待を寄せているそうだ。女性陣は強力で、ほかにも独立準備中の人が2人いるとか。
そのそれぞれが中谷色に染まるのではなく、長所を伸してもらった個性豊かな面々なのだ。唯一共通するのが“食を大切にする”精神。
大きな成長力を秘めた種が次々に蒔かれている。これからの関西のケーキ界、いや日本のケーキ界を大きく育ててくれそうだ。



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◆「ルシェルシェ」村田義武の「なかたに亭」体験
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村田が「なかたに亭」の門を叩いたのは、辻調フランス校を出た20歳の時。フランス校まで行ったが、自分のことを現地での有名店での修業が叶わなかった劣等生だと言っている。はじめの頃は先輩であるピーターや古谷に指導を受け、ようやくケーキのなんたるかが分かり、積極的な興味を持てるようになったのだそうだ。
中谷シェフにしてみると、その当時の村田は沖縄旅行に連れて行った時の、朝食バイキングを大歓びで皿山盛りにして、何回もお代わりしていた無邪気な姿しか思い出せないという。今から15年前の微笑ましいシーン。

村田にとって、やはり賄いのインパクトは絶大だったようだ。箸がなく、毎日ナイフ&フォークの食事はジワジワと身に染みていき、フランス菓子を指向する気持ちが固められていく。
3年を経て、東京のフランス菓子を体験したくなり上京。4年間で4軒の店を体験した。名店「イナムラショウゾウ」「クールオンフルール」のほか、工場生産の現場も体験し、量をこなすシステムも体験した。
その後、「なかたに亭」にスーシェフとして呼び戻され、7年間、その地位に。キッチンが仲良しグループになりすぎてしまっていたので、仕事としての厳しさを取り戻す役割を仰せつかったとか。
やりがいはあったものの、損な役回りで、責任は重くしんどい仕事だっただろうと想像されるが、長くつづいたのはやはり居心地が良かったせいだろう。“みんな辞めないんですよね”と、定着率の高さを語る。
入門の3年、仕上げになんと7年、合わせて10年という長きにわたって中谷イズムを学び取った。
それは、シンプルであること。材料を惜しまないこと。そして当然、料理との間に垣根を作らないこと。

彼が誉められたのは他店ではちょっとあり得ないエピソード。ある日、賄いでボンゴレ・ビアンコを作ることになり、4、5人前に白ワインの“ミシェル・リンチ”を一瓶まるごと使った。シェフが不在だと思って気が大きくなっていたのだ。ところが、じつはシェフは居たのである。
雷を落とされるのを覚悟したが、逆に誉められる。“よくやった、お前は材料を惜しみなく使ってエライ”と。これで感激しないはずはないし、事実、村田にとって一番想い出深いエピソードとなっている。このようにして、中谷イズムは叩き込まれて行くのだ。
客に見えないところでの 、材料をこまめに真空保存するような長年身に付いた作業を受け継いでいる部分が多いのは言うまでもないだろう。



◆これからの「ルシェルシェ」の進む道
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しかし、「なかたに亭」のレパートリーに捉われることはない。 村田が店に置くケーキのレパートリーで「なかたに亭」を引き摺っているのは、今のところ『サントノーレ』くらい。はじめて任された想い出のお菓子。
さらに遡って、はじめて自分で腕試しで作ってみた『パルミエ』は、シェフが“大きく作ると味に力があるな。ええやんこれ”と誉めてくれ、値段を付けてさっそく売ってくれた。思い出深い一品。これもできれば自店に置きたいと考えているところ。

一度、オリジナルルセットの商品を作ってみたがしっくりこず、いったん基本の古典菓子ベースに戻している。というのも、古典菓子に傾倒していて、オリジナルで作ったものを歴史に洗われた名作と同じレベルで見てしまうからだろう。どこまで自分らしさを出していいのか、その見極めは少し時間を掛けてということになりそうだ。
いま一番自分らしいのはやはり『ルリジューズ』『ピエス』(ランゴーのアレンジ)といった古典的なお菓子だという。
今後は、古典というほど古くないレパートリーを取り入れようとしている。20世紀以降、「ペルティエ」「ジャン・ミエ」といった現代的なフランス菓子の端緒となった時代まで。ルセットを洗い直し、自分のものにしたいようだ。たとえば、『マスコットプラリネ』『ビシュロン』のようなレパートリー。
お菓子の歴史を俯瞰して、一番好きな時代を選び取っている。ここにも中谷流の視野の広さが生きている。
開店1年余。古典からスタートして、満足の行くものが出来て、次の目標を定めたところということか。


村田自身が今の自分を代表するという2品が、取材中に売り切れてしまったので、新作の2品に切り替えた。
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●『アギュルム
レモンクリームの下にジャンドゥーヤに生姜の風味を付けたもの。上にはカリカリのアーモンドプラリネ。
プラリネで食感と甘さ、ジャンドゥーヤの甘味で、レモンのストレートな酸味を活かしながら、トゲを取り微妙なバランスを実現している。
レモンとジャンドゥーヤがこんなに相性がいいとは。生姜のホットな感じが口に余韻として残るのも面白い。


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●『カプリス
チョコスポンジの土台の上にカシスミルクチョコのムース、中にカシスのムースが射込まれ、そのムースの上にネーブルのジュレがほんの少し置かれている。外側はアーモンドダイスを含んだチョココーティング。
普通だったら、ミルクチョコとカシスの2つを明確に対比するところ。それをあえてミルクチョコにもカシスを加えて、グラデーションにしたところがミソ。絶妙の美味しさ。
最後にネーブルの異質の酸味と風味に出会うことで、一瞬のきらめきが感じられる。このジュレが季節ごとに変わるかもということで、Caprice(気まぐれ)。



どれをとっても繊細な調和が図られている。1個で満足できるほどの強い甘さがベースにあるのだが、文句なしに美味しいと言えるし、どれを食べてもすでに村田の刻印が捺されている。
本人、“中谷シェフのお菓子って、どれを食べても目をつぶって食べても中谷さんって分かるんですよね”と憧れを込めて語り、自分も“ムラタだねぇ”って言われるようになりたいと言う。
その願いはもうほとんど完成していて、あとはいかに自分のオリジナルの領域を深く広く探究して行くかに掛かっていると言えるだろう。
中谷シェフを巡る惑星の一番星は、すでに自分自身で光り輝こうとしている。




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◆「ラクロワ」山川大介の「なかたに亭」体験
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山川が「なかたに亭」にいたのは2年間。長く居つづける人が多いなかでは短い部類に入るだろうか。
しかも、配属がレストラン「C・シェ・ワダ」の中にあった「NEWS」店。上六本店には土日に助っ人で行くだけ。中谷シェフと接するチャンスは少ない。
それでも「なかたに亭」のインパクトは大きかった。

彼は高校卒業の時に何か物を作る仕事に着きたかった。思い描いたのは、アパレルか洋菓子。どちらも軽い憧れがあるだけで詳しい訳でも、のめり込んでいる訳でもなかった。職業選択としてなんとなくよさそうだったから。
そこで選んだのが、“マネケン”を運営している「ローゼン」。かつての「ホテルプラザ」のカリスマシェフ阿部忠二さんが顧問を務める名門だ。
そんなことも知らず、ただ給料を貰いながら教えてもらえるという実利的な発想。専門学校へ行く気などさらさらなかった。ここの3年間で作業の基礎は身に付けた。しかし、フランス菓子の知識も熱意もまだ何も湧いてくるものがなかった。

そんなある日、中央市場に勤める父親から「なかたに亭」の存在を知らされる。「なかたに亭」の名前すら知らないほどの無知だったのだ。はじめて食べた『マルジョレーヌ』や『アリババ』に、“こんなケーキがあるんや”と目を開かされたのである。
就職してみると、毎日のコーヒーブレイクと豪華な賄いの洗礼。“コーヒー飲むって、最初意味分かりませんでしたよ”と、企業の職場との違いに大きなカルチャーショックを受けた。「NEWS」店は「シェ・ワダ」の賄いだったからとくに豪華だったようだ。朝から賄い用の仕込みをしているほどだったという。
中谷哲哉というカリスマだけでも影響力十分なのに、山川は和田信平の熱も浴びた。

俄然、フランスへ行きたくなった。店には内緒でフランス語教室に通いはじめた。着々とフランス行き決行の準備。そんな時、中谷シェフが講師を招いて行っているフランス語会話の講座に誘われる。断ったことから、山川の目論見は露見した。
シェフはまずフランス語の能力チェックをした上で、“それでは無理だ”と大反対。横から和田シェフが助け舟を出して、“どうしても行きたいねんやろ”。思い立ったら行動に移さないといられない性分を理解してもらえて感激したという。
失敗して帰って来ることを心配した中谷シェフ。若さの情熱を認めてくれる和田シェフ。二人の愛情を注がれた幸せ者と言えるだろう。
出発に当たって二人から色紙を貰っている。中谷シェフからは“パティシエに定義はない”。和田シェフからは“強い心、強い味”。そして、最後に中谷シェフから“頑張れよ”と握手で送られた。
この時点でまだ才能の片鱗も見せていなかった山川だが、この二つの言葉を胸に急速な成長を遂げることになる。



◆「ラクロワ」の進む道
パリで紹介もなしに運良く、100年つづく老舗「ルソー エ スール」(残念ながら閉店)に就職できた。老舗の割りに比較的モダンなお菓子が多かったそうだが、ここに1年腰を据えて、本場の味と生活をしっかり身に付けた。しいて言えば、ここでは焼き込んだ生地に目覚めた。
帰国して、東京・吉祥寺の「レピキュリアン」に就職。ここでようやく古典菓子や焼きっぱなしの菓子に目覚める。ここでも1年。そして「ジョエル・ロビュション 名古屋店」オープンに際しての募集に応じ、採用。ここでも1年。
中谷イズムに触発され、「なかたに亭」に漂うフランス文化に触れた身は、接するものをただちに吸収するスポンジのような状態になり、貪欲に知識を詰め込める状態になっていたのだろう。

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一途な山川はお世話になった店へのオマージュを忘れない。
「なかたに亭」には『マルジョレーヌ』、「ルソー エ スール」へは、そのうち作りたいという『ピスタチオクリームのダックワーズ』、「レピキュリアン」には『ヴァヌアリ』、「ジョエル・ロビュション」には『フォカッチャ』、など。律儀な侠気を見せる古風な人間だ。
自分のルーツをしっかり見せながら、これからの自分の姿を、古典菓子にモダンな味を加える自分流のアレンジだという。

キッチンのスペースからも1日に作る量は限られる。基本的に店を大きくしたり、人を雇ったりする気がない。“独りで自適にやりたいことをするために独立したんですから”ときっぱり。だから一つの菓子でも、その時作りたいように、つねに変化や進化の試みをしている。
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●たとえば『ルリジューズ
つい先日まではチェリーのクリームだったが、今はバナナのピュレを加えたクリーム。
子供向けのお菓子の少ないなかで、数少ない子供を意識したものと言えるだろう。
フォンダンやクリームのところをマジパン細工に置き換え、より可愛い姿へ。その分、甘味が弱くなり、めずらしく大人しい味わい。



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●『モンブラン
底生地をフィナンシェにしているのがちょっとユニーク。
マロングラッセとラム酒風味のシャンティを忍ばせていて、風味が強い。
その強さに合わせた生地選び。
そしてクレーム ド マロンも、大好きというバタークリームと合わせている。
強さを意識した味だ。






先日、中谷シェフが来店し、“お前、こんなんするようになったんや”と、旅立った頃からは想像もできない本格派への成長に驚きを覚えたようだった。
かなり強い味わいを指向しているが、これは父親の仕事の影響で子供頃から野菜ばかりを食べさせられ、土瓶蒸しも当たり前のよう食べてきた“大人の舌”が求めるもの。彼の2歳の愛娘もすでに大人の味覚だというから、山川家の文化、あるいは天性のものと言えそうだ。
その天性に加えて、中谷シェフの“やりたいようにやれ”という教育の甲斐あって、彼もまたブレることなく、自分の信じた味わいを追求しつづけるだろう。


          
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この二人、明らかに目指しているところが違うし、味わいの指向も、ベースとなる甘味の基準濃度も違う。
しかし、精神の深いところで共通項が築かれているようだ。
フランス菓子への愛、食全体を視野に入れる考え方、お菓子作りの方法に制限を設けない自由さ。まさしく、「なかたに亭」のお菓子作りのコンセプトにしたがった考え方だ。

四半世紀を経て、ますます意気さかんな中谷シェフに影響され、さらにさらに多くの人材が登場してくることだろう。わずか2時間ほどの取材で熱く伝わってくるものがある人だけに、若い人たちへの影響力は計り知れない。
昨年は「なかたに亭」以外からも優れたフランス菓子の担い手が何人も独立したし、今年もすでに一人オープンし、さらにオープン予定の話も聞こえてきている。フランス菓子がいよいよ大きく花開くときを迎えたようだが、そこに「なかたに亭」の色合いが強く反映されることは間違いないだろう。
「なかたに亭」のさらなる発展を歓びたい。




●「なかたに亭」大阪市天王寺区上本町6-6-27 TEL06-6773-5240 定休日/月曜、第3火曜
●「パティスリールシェルシェ」大阪市西区南堀江4-5 TEL06-6535-0870 定休日/火曜、水曜不定休
●「パティスリーラクロワ」兵庫県伊丹市伊丹2-2-18 TEL072-747-8164 定休日/月曜、火曜

※文責:日本パイ協会